2014年度のニュース
26年11月8日 第97次発掘の現地説明会が開催されました
下之郷遺跡の北西部、環濠があった場所のすぐ近くで、第97次発掘の現地説明会がありました。たくさんの柱穴や溝、井戸の跡が見つかっています。柱穴から推測すると、掘立柱建物(幅5.2m、奥行き5m以上)と壁立式建物(直径約5m)と思われる建物跡が重なって見つかっています。ただ、掘立柱建物と思われる柱穴は比較的細く、柵列の可能性もあるようです。
これまでの発掘では環濠の中央部から多くの建物が見つかっており、環濠近くにある建物は、出入り口の番小屋でした。今回の柱穴が建物であったとしたら、環濠のすぐそばまで人々が住んでいたことになります。
(本HP「下之郷遺跡/建物」にこれまで見つかっている建物配置があります)
井戸跡のボーリング調査では、底の方には多くの植物遺体があることが判っています。また、建物跡(?)を囲うような溝もあることから、建物の可能性がありそうです。
発掘された柱穴や井戸 |
現地説明会の風景 |
26年6月〜8月 下之郷史跡公園 弥生人養成講座が開催されました
国史跡下之郷遺跡からは、弥生人の生活や文化、自然環境を知る上で貴重な遺物が多数出土しています。今回の講座では弥生時代の生活技術や食文化などを学ぶため、古い時代の技術を今なお残す東南アジアの土器文化、魚と人との関わりについてお話しを伺いました。
【講座内容】
講座 |
日時 |
演題 |
講師 |
第1回 |
平成26年6月28日(土) 午後1時から4時まで |
『東南アジアの土器づくり文化』 | 川崎 千足 (京都精華大学 名誉教授) |
第2回 |
平成26年8月30日(土) 午後1時から4時まで |
『東南アジアにおける人と魚の関わり方』 | 岩田 明久 (京都大学大学院 アジア・アフリカ地域研究学科 教授) |
【場所】 下之郷史跡公園 環濠保存施設
(第1回) 『東南アジアの土器づくり文化』
6月28日(土)、京都精華大学の川崎先生より、インドネシアの土器つくりと弥生土器の類似性、土器が作りだす食文化についてのお話しがありました。
『弥生人はタタキ土器(土器を作るとき、中に丸い石をいれ外から板で叩いて薄い土器を作る方法)を日本に持ち込んだ。薄い土器は煮炊きに適しており、さらに発酵調味料につながり繊細な味覚を生んだ。
このような弥生人の土器文化は、東南アジア、特にインドネシアとよく似ている。 インドネシアでは弥生人と同じ手法で土器を作り、同じと思えるやり方で調理している。』
インドネシアの各地の土器の作りかた、作陶した土器の野焼きの方法、食べ物の調理の仕方、発酵食品の作り方などについてスライドで説明して頂きました。それぞれの土地で特徴的な違いがあり面白いものです。
さらに、中部ジャワで使われている「斜めろくろ(盤面が60度も傾いて回転する)」の紹介がありました。なんとなく不思議ですが、高速回転に向いているそうです。この斜めロクロ文化が廃れて行きそうで、川崎先生は、技術の継承と保存に尽力されています。
6月28日(土)、京都精華大学の川崎先生より、インドネシアの土器つくりと弥生土器の類似性、土器が作りだす食文化についてのお話しがありました。
『弥生人はタタキ土器(土器を作るとき、中に丸い石をいれ外から板で叩いて薄い土器を作る方法)を日本に持ち込んだ。薄い土器は煮炊きに適しており、さらに発酵調味料につながり繊細な味覚を生んだ。
このような弥生人の土器文化は、東南アジア、特にインドネシアとよく似ている。 インドネシアでは弥生人と同じ手法で土器を作り、同じと思えるやり方で調理している。』
インドネシアの各地の土器の作りかた、作陶した土器の野焼きの方法、食べ物の調理の仕方、発酵食品の作り方などについてスライドで説明して頂きました。それぞれの土地で特徴的な違いがあり面白いものです。
さらに、中部ジャワで使われている「斜めろくろ(盤面が60度も傾いて回転する)」の紹介がありました。なんとなく不思議ですが、高速回転に向いているそうです。この斜めロクロ文化が廃れて行きそうで、川崎先生は、技術の継承と保存に尽力されています。
川崎さんの講演 |
インドネシアの土器と道具 |
斜めろくろの構造 |
(第2回) 『東南アジアにおける人と魚の関わり方』
8月30日(土)下之郷史跡公園の環濠保存施設で京都大学大学院岩田先生より、東南アジア、特にラオスのメコン川流域での、人と魚の関わり方についてお話しいただきました。
『ラオスの国土の約80%がメコン河水系に含まれており、魚が大切な食料になっている。メコン河は雨季と乾季で全く異なる様相で、深い谷を流れたいた河が雨季には平地近くまで水位が上がる。また小さな沼が広大な池に変わる。それにしたがって、魚も移動し、生態系に合った環境で生育・繁殖する。
ラオスの人々はこの季節変動--毎年同じようでも変動がある--に順応した生活、魚獲り、農業をしている。魚種も多く、種類に応じた魚の獲り方を工夫し、男女でも違ったやり方で魚をとっている。米つくりも、季節、年によって大きな影響を受けるが、その時々に応じて臨機応変に対応している。
魚を使った発酵食もいろいろなものがあり、魚の料理の仕方も多様である。メコン河水系の生物多様性がラオスの人々の文化の多様性を支えている。
ただ、環境変化、人為による生物種の減少などで、このような生物多様性も失われつつある。』
お話しを聞いていて、野洲川下流域の弥生人も同じような生活をしていたと感じました。治水事業が出来ていない琵琶湖水系で水位変動が大きく、野洲川もよく氾濫していた当時、農業も漁業も臨機応変にやらなくてなならなかったことでしょう。ある時には米つくり、ある時には魚獲り、融通無碍な生活であったに違いありません。
講演の中で岩田先生が、『今の日本では「魚の文化」が廃れてきており、「切り身の文化」になってきた』と話されたのが印象的でした。
8月30日(土)下之郷史跡公園の環濠保存施設で京都大学大学院岩田先生より、東南アジア、特にラオスのメコン川流域での、人と魚の関わり方についてお話しいただきました。
『ラオスの国土の約80%がメコン河水系に含まれており、魚が大切な食料になっている。メコン河は雨季と乾季で全く異なる様相で、深い谷を流れたいた河が雨季には平地近くまで水位が上がる。また小さな沼が広大な池に変わる。それにしたがって、魚も移動し、生態系に合った環境で生育・繁殖する。
ラオスの人々はこの季節変動--毎年同じようでも変動がある--に順応した生活、魚獲り、農業をしている。魚種も多く、種類に応じた魚の獲り方を工夫し、男女でも違ったやり方で魚をとっている。米つくりも、季節、年によって大きな影響を受けるが、その時々に応じて臨機応変に対応している。
魚を使った発酵食もいろいろなものがあり、魚の料理の仕方も多様である。メコン河水系の生物多様性がラオスの人々の文化の多様性を支えている。
ただ、環境変化、人為による生物種の減少などで、このような生物多様性も失われつつある。』
お話しを聞いていて、野洲川下流域の弥生人も同じような生活をしていたと感じました。治水事業が出来ていない琵琶湖水系で水位変動が大きく、野洲川もよく氾濫していた当時、農業も漁業も臨機応変にやらなくてなならなかったことでしょう。ある時には米つくり、ある時には魚獲り、融通無碍な生活であったに違いありません。
講演の中で岩田先生が、『今の日本では「魚の文化」が廃れてきており、「切り身の文化」になってきた』と話されたのが印象的でした。
岩田さんの講演 |
湖沼の環境と魚の生態 |
日経新聞で史跡公園、活用団体が紹介されました (H26.6.19)
6月19日付けの日経新聞の関西Viewに、下之郷史跡公園とそこでの住民活動の紹介記事が掲載されました。
歴史遺産を使った観光地を目指す町おこしが多い中、住民の学習、交流に軸足を置いた活動として、弥生人養成講座 弥生の米つくりが大きく取り上げられています。
下之郷遺跡の発掘成果も紹介され、出土した稲籾のDNA分析で明らかになった熱帯ジャポニカの発見にも触れられています。