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下之郷遺跡の特徴
環濠集落とは、外から敵が攻めてきたり、洪水がおこったりした時に、村を守るために大きな濠が周囲に巡らされている村(集落)のことをいいます。
この遺跡の環濠や井戸跡からは、土器・石器はもちろんのこと、木製品、保存状態のよい動植物の遺体が多数見つかっており、当時のムラ・生活の様子をうかがい知ることができます。
環濠集落としての特徴
【環濠集落の規模の大きさ】
3重の環濠が周回している集落の規模は、東西330m、南北260mと想定され、当時としてはとても広い、巨大な集落です。しかも、これだけ大きな環濠が、集落を完全に周回している弥生遺跡は他ではあまり見られません。
環濠の外側にも建物跡や生活の痕跡が残されており、その外周部には大溝が部分的に発見されています。そこまで含めると、遺跡の規模は東西670m、南北460mと推定されます。
【多重の環濠】
3重の環濠が同心楕円状に並行して集落全体を取り囲み、集落の東側は、その外側にも3重〜6重の環濠がて発見されています。集落の西側は発掘されておらず、外側の環濠の存在は判りません。
これらの環濠が同時に存在した訳ではないのですが、これだけ多重の環濠が巡っている遺跡はまれです。
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多重環濠
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多重環濠
【大きな濠】(写真左)
内側の3重の環濠は幅5〜8m、深さ1.5〜2mと幅が広く深い濠です。この濠の外側には土塁があったと考えられますが、後世に削り取られ残っていません。
【多量の埋蔵物】(写真右)
環濠の中からは多量の多種多様の遺物が見つかるのも大きな特徴です。これらの遺物からいろいろな事が分かり、新発見もありました。
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人の背丈よりも深い溝
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多量の埋蔵物

環濠・井戸は弥生のタイムカプセル
下之郷遺跡一帯は、野洲川の伏流水の恩恵を受け、豊富な地下水に恵まれています。泥水によって空気が遮断されたため、多様な動植物遺体があまり腐食することなく、非常に良好な状態で地下に保存されています。例えば、井戸跡や環濠から発見された稲籾や樹木の葉が黄色や緑色の色のままで残っており、下之郷遺跡はまさに「2200年前のタイムカプセル」ともいうべき遺跡です。
弥生時代は、”稲作の始まった時代”、”戦の時代”と言われますが、そのことを傍証する手掛かりも残されています、
  • 炭化していない籾が出土し、DNA分析が可能で、稲作の伝搬ルートについて新たな知見が得られた
  • 雑穀、ウリ、魚、動物の遺体がたくさん出土しており、当時の食生活をしることができる
  • 樹木や葉の遺物がしっかりとした状態で出土しており、集落周辺の植生群が想定できる
  • 集落の出入口周辺には柵跡があり、環濠からは武器類が多数出土しており、"戦い"の様子が見てとれる
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集落を周回すると推定できる3条の環濠のうち、本掘りを行って埋蔵物を確認したのは長さ割合で約1割にしか過ぎません。
それだけの発掘で、こんなに素晴らしい遺物が確認できるのも下之郷遺跡の大きな特徴です。

中心部に整然と建てられた大型建物
弥生時代の住まいと言えば竪穴住居が一般的で、倉庫や集会場、神殿などには掘立柱建物が使われたと言われています。
下之郷遺跡では不思議なことに竪穴住居は1棟も見つかっておらず、ほとんどが掘立柱建物か壁立式建物です。掘立柱建物は大型の建物が多く、独立棟持柱のある掘立柱建物も発見されています。独立棟持柱の建物は、この時期にしては非常に珍しいことです。
中央部の掘立柱建物群は、東西、南北の方向を意識して建物の向きが統一されています。また、これらの建物の周囲には小さな溝で方形の区画を設けてあり、この時代に 、建物に計画性を持たせて整然と配列しているまれなケースです。
壁立式建物は円形または長方形の平面の周囲に壁を立て、その上に屋根を葺いています。壁立式建物は朝鮮半島に起源を持ち、西日本の大型拠点集落でしか見つかっていません。


竪穴住居
竪穴住居
壁立式建物
壁立式建物
掘立柱建物
掘立柱建物

突然現れて短期間で移っていくムラ
下之郷遺跡と同時代に栄えた大規模環濠集落には、九州の吉野ヶ里遺跡や、近畿の池上曽根遺跡、唐子鍵遺跡などがあります。これらの遺跡は、弥生時代の早期から後期まで同じ場所に継続して生活が営まれます。
これに対し、下之郷遺跡は弥生時代中期に突然現れ、中期末には衰退し始めます。集落として栄えるのは 150年程度、せいぜい200年です。
弥生時代の期間は約700−750年(もっとさかのぼるという説もある)と言われており、その中で弥生中期は約300年です。下之郷遺跡はこの中期の途中で生まれ、中期の末には衰退していくのです。
ただ、野洲川流域という範囲みると、弥生遺跡が次々と場所を変えて営まれており、弥生後期には伊勢遺跡とう大規模集落が出現します。
このように比較的短い期間に集落が移っていくのが、野洲川流域の弥生遺跡の特徴です。この地の歴史を紐解くには考慮すき事柄です。
野洲川にはいくつもの支流がありますが、その一つの川に沿って拠点集落が移動して行く様子を下の図に示します。左側から右方向へ集落が移動(盛衰)していますが、これはまさしく弥生時代の時の推移とも一致しています。

拠点移動


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