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戦と武器
環濠からは、多くの武器・武具などが出土しています。
集落の出入り口は、柵や門で囲われ、監視・防御拠点としての建物が内側にあります。
当時の”戦い”という緊迫した社会情勢があったことがうかがえます。
戦いの痕跡
出入り口 これまでの発掘で、集落の東側と西側に出入り口が見つかっています。
どちらの出入り口にも入った直ぐの所に番小屋と推測できる建物があり、周辺には柵が設けてありました。また、武器の多くもこの周辺から見つかっています。
前章「建物」で、東南アジア系の建物と朝鮮系の建物の2種類があると言いましたが、面白いことに、東の番小屋は朝鮮系の円形壁立ち建物、西の番小屋は東南アジア系の掘立柱建物になっています。
ここには、2つの系統の人たちがいたのでしょうか?

集落の西側の出入り口

集落の西側で発見された3重の環濠は、いずれも幅5m、深さ1.5mほどで、当時は水をたたえていたと思われます。 環濠のふちには柱穴が並んでいる場所があり、これらは、集落内に外敵が容易に侵入できないように設けられた
柵の痕跡と考えられます。
第1環濠では、一度掘った環濠に、幅3mほどの土を埋めて出入口(陸橋)が見つかりました。
その両側には柵があり、環濠の内側には門柱を立てて、そのそばには高床式の建物が建てられていました。
これは、集落を守るための施設で、番兵が常駐し、監視をしていたのでしょうか。
この出入り口周辺からは、打製や磨製の石鏃(せきぞく)、焼け焦げた弓、石剣、折れた銅剣など、
戦いに使われたと思われる武器がたくさん見つかっており、激しい戦いが連想されます。
第2環濠では、木橋の痕跡が見つかっています。

西側の出入り口

集落の北東側の出入り口

集落の北東側にも同じような出入り口が見つかっています。
ここには、6重の環濠が設けられており、幅は5〜7m、深さ1.5mほどです。環濠の下の土は砂礫層で水が溜りにくい環境で空壕だった可能性があります。さらにその外側には3条の外濠が見つかっており、考えられないほどの厳重さです。
第1環濠はやはり埋め戻され、柱列が設けられています。
出入り口の内側には、やはり監視用と思われる建物があります。この建物は直径7mの円形壁立建物で、内部や周辺からは多くの石鏃が見つかっています。さらにその内側には二重に柵列が設けような柱穴列があり、容易に侵入できないような仕組みになっていたようです。その他、環石や盾などの武器・武具も見つかっています。
この付近の井戸や環濠の底からは稲籾、フナの鰓蓋骨(さいがいこつ)、籠目土器、木偶など、食の痕跡、日用品が見つかっています。

北東側の出入り口
武器・武具
環濠には、武器・武具が多量に埋もれていました。磨製石剣、環状石斧、環石、石鏃、 石斧や木製の弓、盾などが発見されています。
銅剣は、切先が折れたものを研ぎ直して使っていますが、剣茎部が強い衝撃で折れていました。弓は焼けたり折れたりしたものが散乱した状態で見つかっています。実際にこの場所で戦いが行われていた様子が目に浮かびます。
また、戈(か)という中国から伝わった武器の柄が出土しています。

石の武器


石の武器

【環状石斧(かんじょうせきふ)、環石】
石をドーナツ状やそろばんの玉状に磨き上げたもので中央の穴に棒を通して使ったようです。環状石斧は外周を鋭角に尖らせ、環石は丸面になっています。戦闘用の棍棒や指揮棒として使ったのでしょう。これらの武器は東アジアの石器時代の遺跡から多く見つかっており、これらの地とのつながりが感じられます。
【石鏃(せきぞく)】
下之郷遺跡からは多量の石鏃が発見されています。打製石鏃にはサヌカイトを、磨製石鏃には粘板岩などを材料にしています。縄文時代のものより大型で、重く、殺傷能力を高めたものと考えられます。

木・銅の武器武具


武器武具

【銅戈(どうか)】
戈は、中国の戦国時代に、戦車の上から敵の首を狙うもので、長い竿の先に青銅の戈が付けられていたものです。武器はいつの時代でも、有効なものがあれば海外より取り込んで使ったようです。
柄は中国のものよりは短く、形状から大阪湾型銅戈が着柄されていた可能性が高いと考えられます。
【長弓と短弓】
これまでに10本以上の弓が環濠から出ています。イヌガヤなど弾力のある樹木が使われています。装飾には樺(かば)が巻かれたり、漆を塗ったものがあります。
【盾】
出土した盾は、全長105cmを測り、ほぼ完全な形を残していました。
スギ板4枚とサカキの補強材2本とを組み合わせて作られた盾で、このように盾が完全な形で発見されることは非常に珍しいことです。
盾の板に渡した2本の補強材の中央には把手が付けられており、植物繊維が巻きつけてあります。盾の中央部に脚棒用の差込孔が設けられており、置き盾としても使われたようです。
これまでに出土している弥生時代の盾は、板材にモミを、そして表面に顔料を塗ったりしている事例が一般です。それらと比較すると下之郷遺跡で出土した盾は、材質が異なり、顔料も使われておらず、非常に珍しい形式です。

盾盾の使い方


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