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 なぜココヤシが?
下之郷遺跡からココヤシの実が出土しています。他の出土物とは異なり、偶然のきっかけで見つかったものです。正倉院にも同様のものが宝物として保管されています。
人面ひょうたん
平成5年、発掘調査員のBさんが水道工事をしている現場を通り過ぎようとしていました。
当時はまだ、下之郷遺跡と思われていなかった場所です。井戸が見えたので、工事を中断させ、中を調べるため
頭を中に突っ込んで掘ってみると底からひょうたんのようなものが出てきました。
洗ってみると、水銀朱の跡があり、人の顔のようにも見えました。
それを安土城考古博物館へ持ち込み、保存処理をしたのですが、博物館の人とも「ひょうたんですね」と話して
いました。
ひょうたんは守山の他の遺跡でも出ているし、下之郷でも出土例があってそれほど珍しいことではないのです。
それはココヤシだった
平成20年、埋蔵文化財センターの秋の展示のため、その「ひょうたん」を展示しようと準備していました。
そこへ、他府県の考古博物館の方が立ち寄られ、「ひょうたん」を見て「今、正倉院展で同じようなものを見ましたよ」と言われ、Bさんは驚きました。正倉院展では、ココヤシの実に人面を描いた宝物「椰子実(やしのみ)」として展示されていたのです。発芽孔を直径3cmに丸く切り開き口にし、子房跡(めしべの跡)2カ所を目に見立て、八の字の眉や瞳を描き加えたものです。
下之郷から出土した「人の顔のように見えるひょうたん」は、実はココヤシだったのです。直径約4cmの穴を開けて
口にし、子房痕を目に見立て、小さな穴で鼻の形を作り、大きく口を開けた顔を表現しています。口の両脇には「ひげ」となる線が彫られ、鼻とひげは水銀朱で赤く着色されていました。
後から分かることなのですが、正倉院の椰子実も全体から水銀が検出され、かつて朱色の顔料が塗られていたようで、水銀朱で着色している点も下之郷のココヤシと同じでした。
正倉院の「椰子実」は、少なくとも平安時代終わり頃からあったと言われており、下之郷のものは、それより1000年
以上遡ることになります。
東南アジアやオセアニアには容器を人面の形に装飾する文化があり、呪術師が使っているという研究者がいます。ココヤシの容器は東南アジアから伝わったとみるべきでしょう。
弥生文化は中国など東アジアから伝わったと言われていますが、熱帯ジャポニカも考え合わせると、東南アジアからの伝播ルートもあったと考えざるをえません。
水洗選別の様子
下之郷より出土した椰子
選別された植物遺体
正倉院の椰子
(写真:正倉院事務所)



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