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 建物
下之郷遺跡では環濠内の中央部や出入口からは、多くの建物の柱穴が見つかっています。
縄文〜弥生〜古墳時代に人々が住んでた竪穴住居は見つからずに、確認された建物は、掘立柱建物や、西日本の大型拠点集落でしか見つかっていない壁立式建物、またこの時代としては珍しい独立棟持柱建物があります。
建物の痕跡
これまでに見つかっている建物の柱穴から推測できる建物の配置図を示します。
これれら全てが同時期に存在していたのではないのですが、大型拠点集落にふさわしい建物がたくさん、方向を合わせて整然と立ち並んでいたようです。

建物配置

建物の種類と規模
下之郷遺跡で見つかった建物の形式は次の4種類です。
床面積は、10数uから80uとさまざまですが、30u以上の大型建物跡が11棟(建替えは1棟としてカウント)も見つかっています。これらが同時に存在していた訳ではありませんが、この当時に大型建物が数多く建っていたのは、拠点集落としての力の大きさを示すものでしょう。
【壁立式建物(円形)】
柱を円周上に配置する形式の建物で、最大のものは直径11m(床面積は約95u)、最小は直径4m前後(床面積は約13u)です。この形の建物は、朝鮮半島系に起源を持ち、国内では西日本の大型拠点集落の特殊な場所に建築されていたようです。。
大きな建物は環濠際にあったので集落を守る建物、直径7mクラスの建物は集落内のあちこちにあるので、一般住民の住居であった可能性があります。
【壁立式建物(方形)】
柱を長方形に配置する建物で、床面積は20〜30u。建物の周囲に溝を配置するものがあり、遺跡の中央部に見られます。
【掘立柱建物】
壁立式建物と並んで遺跡内に多数ある建物跡で、床面積は20〜40u。杉の柱根が残存していたものもあります。中心部の小区画群内部にも見られ、居住用と倉庫があり、大型、小型の区別があります。出入り口の前にも建物跡があり、防御や出迎えなどの役目を持った建物であったと推定されます。
【独立棟持柱付き建物】
高床の掘立柱式建物ですが、棟の先端を支える「棟持柱」を持っているのが特徴です。床面積は約60uとかなり大規模で、遺跡中央部で見つかっており、同じ場所で5回も建替えがが行われていました。その場所がムラの中心部で、祭祀を行う場所や集会場であったと考えられます。
この形の建物は近江で最も古いものです。東南アジアの建物様式の影響が考えられます。

掘立柱式建物
掘立柱建物(高床建物)跡
矢印 復元図
大型建物復元図
 壁立式建物
壁立式建物跡
矢印  復元図
壁立式建物復元図

建物の方位と区画溝
遺跡中央部には、溝で区画され、東西南北の方位を揃えて建てられた建物群が整然と立ち並んでいます。この時代から、方位と配列を意識した、現在でいう「都市計画」の概念ががあったことは驚きです。恐らく、この場所で政治や祭祀が行われていたのでしょう。
遺跡中央部には、幅50p〜1mほどの溝で四角に区画された面積80〜250uの小区画から成る、小区画群があります。この小区画群には、90m四方で向きがほぼ東西南北になっている群(図のB)と、約80m四方で向きが真北より約10度、西寄りになっている群(図のA)とがあります。これら区画群の規模については、未発掘区域があるため、今後の調査でさらに広がる可能性があります。
それぞれの小区画には掘立柱建物が配置されていました。この中には、大型掘立柱建物もあり、中心的な建物として同じ場所で5回も建替えが行われていました。
区画溝
建物周辺の想像図

出入口周辺の想像図

出入口周辺の建物柱穴や環濠に作られた土橋、環濠の縁に沿って見付かる柵の柱穴などから、出入口周辺の様子が想像できます。それが、この復元想像図です。

出入口周辺の想像図

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