ヘッダー画像
 2016年度トピックス

「トピックス」へは、こちらから ⇒ 「トピックスへ」
お知らせ

「意見の広場」へ「 服部遺跡のミステリー 」を掲載しました(H29.1.23)

服部遺跡は「野洲川放水路」開削に伴い、広大な面積を一気に発掘調査したので、多くの歴史的な事実が判りました。
しかし、その一方で新たな疑問も湧いてきます。
そのような疑問について、状況証拠を踏まえながら考察してみました。
また、服部遺跡には繰り返して襲った大洪水の痕跡が残されていますが、2000年前の巨大地震によって引き起こされたと考えられる爪痕が残されています。
その巨大地震とそれに伴う大津波がもたらした社会変化について考察しています。
弥生時代中期を終焉に導いたのがこの巨大地震と考えられ、その痕跡が服部遺跡に残されていたと推察しています。

是非ご覧ください。 こちらから ⇒ 「服部遺跡のミステリー」


「意見の広場」へ「 隠された近江の邪馬台国 」を掲載(再投稿)しました(H29.1.23)

NPO法人守山弥生遺跡研究会の会員である千城氏が、2016年5月22日滋賀県守山市で開催された総会において、≪伊勢遺跡で何が行われたのか ―卑弥呼の墓は近江にあるのか―≫ と題して講演したものに筆を加えたものを、昨年10月に「邪馬台国近江説と卑弥呼の墓」として投稿していただきました。
今回、より分りやすく再構成されたものを「 隠された近江の邪馬台国 」と改題し、再投稿して頂きました。
千城氏は著書『近江にいた弥生の大倭王(だいいちおう)』で邪馬台国は近江にあったと推論されていますが、今回は卑弥呼の墓の所在についての研究成果を述べておられます。

是非ご覧ください。 こちらから ⇒ 「隠された近江の邪馬台国」


トピックス

「服部遺跡」ホームページ公開記念講演会
 「古墳文化へのトレース 狗奴国の行方」を開催しました(H29.2.5)

ポスター
【日時】 平成29年2月5(日) 午前14:30〜16:50
【内容】 第1部 14時30分〜15時
テーマ:服部遺跡ホームページの紹介
講 師:田口一宏(NPO法人守山弥生遺跡研究会 理事長)
第2部 15時〜16時20分
テーマ:古墳文化へのトレース 狗奴国の行方
講 師:赤塚次郎氏(愛知県埋蔵文化財センター 副所長)
第3部 16時30分〜16時50分
考古学者に聞く
【場所】 ライズヴィル都賀山  1F レストラン ヴェルデュール
【主催】 NPO法人守山弥生遺跡研究会

【講演の様子】
今年の「記念講演会」は、講演会場がとれずレストランを借切っての講演となりました。 そのため、聴講者には参加費を払っていただき、その代わりに好きな飲み物を提供する形となりました。
午前中の雨も、開演時刻には上がり、募集定員60名を大幅に超える80名の方に参加して頂きました。
新HP概説、赤塚氏の講演ともに新たな知見が得られたと好評でした。特に、赤塚氏の講演は「狗奴国」からの視点でのお話で、考古学ファンにとっても「邪馬台国とは異なる観点の内容が目新しかった」と喜んでもらえました。
レストランの午後の空き時間を借りたため、時間的な制約があって、質疑に十分な時間を取れなかったのが心残りでした。

【講演の骨子】
「服部遺跡」ホームページ概説
講演風景 新しく制作された「服部遺跡」の誕生と遺跡の概要の話と、「服部遺跡のミステリー」の中から、2000年前の巨大地震にまつわる話の2本立てで講演がありました。
  • 服部遺跡は立地環境上、約100年〜200年間隔の大洪水により繰り返して埋没し、サンドイッチ状に各時代の遺構が残された。この結果、時代別タイプカプセルのように、歴史を追って遺構・遺物を見ることができる、貴重な複合遺跡である。
  • 近代になっても生じる洪水を根本的に絶つために、新たな放水路が開削され、このために発見され、結果的には消え去った遺跡である。
  • 服部遺跡には2000年前に生じた、南海トラフに起因する巨大地震の痕跡が残されている。
  • 2000年前の南海トラフ巨大地震で弥生中期が終わりを遂げたと考えられ、当時の社会の激変をよく説明できる。
講演「古墳文化へのトレース 狗奴国の行方 〜弥生後期の近江と東海〜
講演風景 弥生後期の近江と東海について、狗奴国からの視点で歴史の動き、古墳時代へ向けての社会変化に付いて、
 @地域の素材・地層 部族社会という視点
 A動き出す部族社会
 B狗奴国との抗争
 C気候変動をどう考えるか
の、4部構成で講演がありました。
  • 弥生後期から古墳時代を見るとき、邪馬台国、ヤマト王権にのみ目が行く風潮があるが、列島各地には豊かな地域社会があり、それぞれの視点から歴史を眺める必要がある。
  • 特徴的な土器や墳墓が地域的に伝搬・拡散・移動していく様子、三遠式銅鐸の分布などから、地域勢力の盛衰が読み取れる。
    弥生後期は、野洲川下流域 湖南地方から動き出し、それを受け入れながら東海が独自の文化を育て、東西に波及していく。狗奴国は近江から尾張にかけての一大勢力となる。
  • 歴史の大きな変節時点には、大きな気候変動や災害があり、最近の新しい年代測定技術から気候変動が読み取れるようになった(木材の年輪中の酸素同位体の比率測定)。これにより歴史の変節と気候変動を関連付けて読み解き、さらには実年代との結び付けも推測できるようになった。
  • 狗奴国と邪馬台国の間に大きな抗争があったように見られているが、一時的には対立もあったものの、最終的には協調し合いながら古墳時代へ向かっていく。

公開勉強会
 「ヒミコの時代の服部遺跡」を開催しました(H28.11.26)

昨年度に続き、NPO公開勉強会を開催しました。
【日時】 平成28年11月26日(土) 午前13:30〜16:00
【内容】 第1部 13時30分〜14時
テーマ:服部遺跡ホームページについて
講 師:NPO法人守山弥生遺跡研究会 理事長 田口一宏
第2部 14時〜15時
テーマ:ヒミコ時代の服部遺跡
講 師:守山市分化財保護審議委員 大橋信弥氏
第3部 15時10分〜15時50分  質疑応答など
【場所】 ライズヴィル都賀山  2F アイリス
【講義概要】
第1部
・服部遺跡の紹介  ・伊勢遺跡誕生の証(2000年前の大地震の痕跡)
第2部
・服部遺跡調査の思いで〜共に調査した人々〜
・歴史年代観の変化:気候変動を取り入れた時代の推定(前倒しになってくる)
・弥生中期〜古墳時代の服部遺跡、土器の変遷

町家歴史塾
 「倭国の中心は伊勢遺跡だった」が開催されました(H28.11.8)

守山市内にある伊勢遺跡がかって「倭国の中心であった」ということを主題に紹介しました。
うの家講演会 【日時】平成28年11月8日(火) 午前10時〜正午
【場所】うの家 南倉
【演題】「倭国の中心は伊勢遺跡だった」
〜弥生の祭祀、野洲川下流域の弥生遺跡から読み解く〜
【講師】田口一宏 (NPO法人守山弥生遺跡研究会)
【定員】先着30名 無料
【申込】守山宿・町家「うの家」 電話 583-2366
【講演概要】
・倭国とは  ・野洲川下流域の弥生遺跡の紹介
・伊勢遺跡の紹介  ・倭国の中心と、なぜ判るか?
・その力の源泉は?  ・伊勢遺跡が誕生する背景、契機

H28年11月15日 下之郷遺跡祭り2016 が開催されました

大勢の方々が史跡公園に集い、大いに盛り上がりました。
【日時】11月13日(日)午前10時〜午後3時
【場所】下之郷史跡公園(下之郷1丁目)
【内容】
開会式(10時〜)
ステージ発表第T部(10時10分〜) 
  ・下之郷遺跡キッズクラブ  ・吉身小学校6年生
  ・若鮎保育園   ・吉身幼稚園
ステージ発表第U部(正午〜)
  ・和太鼓ほたる団
猪鍋ふるまい(10時30分〜) 
体験コーナー(10時30分〜)
  わら細工、よし細工、竹細工、機織り、カゴ編み、木の実細工、弥生カレンダー作り
  魚釣り・火おこし・弓矢・投網擬似体験(一部有料)
もーりーと記念撮影(10時30分〜)
模擬店コーナー(10時30分〜)
  赤米栗ご飯、赤米がゆ、たこ焼きなど
農産物、金魚などの販売
下之郷遺跡めぐりツアー(12時30分〜 )
  岡村道夫さん(奈良文化財研究所名誉研究員)が案内
問合せ
  文化財保護課 Tel (582)1156 Fax (582)9441


H28年10月17日 11月10日 下之郷史跡公園 弥生人養成講座が開催されました
「弥生の食」弥生時代から昭和へと続く〜古代米・雑穀を使った料理〜

 忘れられつつある「食物の魅力」について、お話会と調理実習が行われました。
【期日】 平成28年10月17日(月)、11月10日(木) 午後1時30分から午後4時
【場所】 下之郷史跡公園
【講師】 土山博子さん(稲と雑穀の会)、小島睦夫さん(下之郷史跡公園所長)
【定員】 先着30人、資料代 200円


 滋賀Web大賞2016で姉妹HP「野洲川下流域の弥生遺跡」が最優秀賞を頂きました(H28.6.27)

写真 滋賀県地域情報化推進会議が開催していたウェブサイトコンテスト「滋賀Web大賞2016」で、姉妹ホームページ「野洲川下流域の弥生遺跡」が地域活動部門の最優秀賞を受賞し、6月27日(月)に表彰されました。
このコンテストは、滋賀県内の企業、地域活動団体、公共団体、個人等が運営しているウェブサイトで、滋賀の魅力を発信し豊かな地域社会を築くことに貢献している優れたウェブサイトを表彰するものです。
審査員の方から
「遺跡のアーカイブとして地域のみならず全国的に見ても評価できます。資料的価値が高く、大変意義深いWebサイトです。各地の遺跡や史跡でも同様の情報発信をしてもらうような模範となると良いでしょう。
また、学術的な裏付けのある文章の質などレベルが高く、運営者の情熱も伝わってきます。
地元の人も知らなかったことが出てきますし、小中学校での調べもの学習に役立つでしょう。 」とのコメントを頂きました。
私どもがホームページを制作する基本的なスタンスが評価されました。

NPO総会で会員による歴史講演を行いました(H28.5.22)
  「卑弥呼の墓は近江にあるのか?」 〜伊勢遺跡で何が行われたのか〜  

写真 写真 5月22日に開催したNPO定例総会の後、当NPO会員の佐藤明男氏(ペンネーム:千城 央)による歴史講演を行いました。
佐藤氏は、弥生時代の全国の様子を網羅して調査し、『近江にいた弥生の大倭王(だいいちおう)』という本を発表され、その大倭王が卑弥呼では? と述べておられます。
それに続き『邪馬壹国(やまいちこく)からヤマト国へ 〜近畿東海が大地震で倭国大乱に〜』 を上梓されています。
総会の後、佐藤氏より、「卑弥呼の墓は近江にあるのか?」 〜伊勢遺跡で何が行われたのか〜  のタイトルで、卑弥呼の墓の所在について、佐藤氏が膨大な資料を調査し推定される場所について報告していただきました。

【期日】 平成28年5月22日(日) 午後1時30分から午後4時
【場所】 守山駅前コミュニティホール 3階 第1ホール
【プログラム】
午後1時30分 NPO総会 H27年度活動報告ならびにH28年度活動計画
午後2時〜3時30分 歴史講演 「卑弥呼の墓は近江にあるのか?」
 佐藤 明男氏 (ペンネーム:千城 央)
【主催】NPO法人守山弥生遺跡研究会会 
【講演の概要】
タイトルは「卑弥呼の墓は近江にあるのか?」ですが、結論を 先に言えば「比叡山の八王子山は卑弥呼の墓の有力地」という ことになります。
千城 央さんは自書『近江にいた弥生の大倭王(だいいちおう)』で、 弥生時代の全国の様子を網羅して調査し、近江の大倭王が卑弥呼では?と 推論され、また『邪馬壹国(やまいちこく)からヤマト国へ  〜近畿東海が大地震で倭国大乱に〜』で当時の倭国の動きを 述べられています。
これらを踏まえ、中国の陰陽五行思想や皇廟と祭祀場の位置関係、 ヤマトになってからの祭場と箸墓古墳などの位置関係などをもとに、 比叡山の八王子山は卑弥呼の墓の有力地としておられます。

top