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 下之郷遺跡と史跡公園
下之郷遺跡のここがすごい!

大きくて美しい多重環濠

遺跡の範囲 下之郷遺跡は、滋賀県守山市下之郷町で発見された弥生時代中期の大規模な多重環濠集落です。
集落のまわりに幅の広い環濠が3重、さらにその外周に数条の大濠が巡らされています。3重の環濠に囲まれる集落の規模は、東西330m、南北260m、面積はおよそ7haにおよびます。
環濠集落は稲作文化と同時に大陸から伝来し、九州から中国地方、近畿、東海へ波及していきます。しかし、弥生時代後期以降は、環濠集落が各地で消滅していきます。
この間、各地に多くの環濠集落ができます。そのような環濠が発掘されて見つかっていますが、環濠の大きさ、形状、環濠の本数など様々です。
下之郷遺跡の環濠と他の遺跡の環濠を比べてみると、@規模が大きく、A並行した多重環濠が、Bぐるりと完周した美しい楕円形状となっており、この三拍子が揃った環濠は他では見られないと言っていいでしょう。
環濠は稲作が始まってから、集落を防御するために設けられたと言われています。下之郷遺跡も同じような目的があったのでしょうが、大きくて美しい環濠は見せるためではないか、と思わせるほどです。

弥生のタイムカプセル−他では見られぬ素晴らしい遺物

各地の遺跡ではその時代に応じていろいろな遺物が出土しています。
下之郷遺跡が栄えた弥生時代中期を見てみると、共通して出土するのが、腐敗することのない土器や石器です。保存状態が良ければ腐敗を免れた木器・木製品、人や動物の骨が出てきますが、このような遺跡は少ないです。蔓(つる)植物を使った籠(かご)やザルなどの出土はさらに少ないようです。
遺跡のある土地柄によっては、銅剣や銅矛などの銅製品が見つかっている遺跡もあります。
下之郷遺跡一帯は、野洲川の伏流水の恩恵を受け、豊富な地下水に恵まれています。環濠や井戸の底は泥水によって空気が遮断されたため、多様な動植物遺体があまり腐食することなく、非常に良好な状態で地下に保存されています。
このため、下之郷遺跡では、土器・石器以外に木器・木製品が多量に出土しており、さらに他の遺跡ではあまり見かけることのない、軟組織の有機物が出土しています。植物の葉や種子、昆虫の組織などを分析することにより、当時の人々の食べ物や生活の様子、周囲の植生の状況が判るのです。
集落を巡る環濠からは、土器に加えて多数の木器や石器など、当時の政治動向や社会、人々の生活をうかがうことのできる出土品が数多く発掘され、また、当時の自然環境も復原できる遺跡であることから、平成14年3月に国指定史跡となりました。
下之郷遺跡のある場所
守山市は滋賀県の南東部、びわ湖の幅が一番狭い所に面しており、中山道やびわ湖水上交通の要衝にあります。また、穀倉地帯として古くから栄えてきました。
この地は、次に述べるように地形的にも恵まれ、原始・古代から人々が活動し、ムラを作ってきました。このため、守山市には縄文時代から中・近世までの約150か所の遺跡があります。そのうちには、国指定史跡が2つ、その他にも全国的に注目される遺跡もいくつかあり、考古学的にはとても重要な地域です。

守山市

下之郷遺跡は、三上山を頂点として広がる野洲川下流域平野のほぼ中央に位置しており、現在のびわ湖の湖岸より5kmほど内陸、湖面より10mほど高い標高94mの位置にあります。
野洲川はびわ湖に注ぐ川の中では最大で、野洲川がつくる淡水三角州は日本最大です。弥生時代の初め、米づくりの始まったころはまだ灌漑技術が未熟であり、水の豊富なこの地は稲作にとって都合のよい土地であったことでしょう。
下之郷遺跡は、扇状地の末端で、地下の伏流水が地表に湧き出してくるような水源地帯にあたり、生活を営むうえでたいへん適した場所であると同時に、水田に入れる水を管理できる重要な場所にあたります。

 下之郷遺跡、史跡公園へのアクセスはこちらをご覧ください ⇒ 行き方
復元した環濠を見られる下之郷史跡公園
下之郷遺跡の保存と活用を図るために、平成22年には環濠が巡らされている場所に下之郷史跡公園が開設されました。史跡公園では、環濠の一部が復元されており、出土した遺物も展示してあります。
史跡公園は出土物を見学するだけでなく、史跡をテーマとして活用事業を進める拠点となっています。地域住民が主体となって、弥生文化の復活・継承を進めようと、古代米の栽培や古い調理の研究、弥生時代の織り機の復元と当時の繊維を使った織物を作るなどの活動をしています。
また、市民や地元の小中学校の生徒が歴史を体験学習する場ともなっています。

下之郷史跡公園


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